自立できる環境住宅とは

 

アトリエNOA

本庄正之

 

 

 

環境共生住宅なるものが様式のひとつとして定義つけされ、全国流行の様に一般に浸透しているが、もう一度私なりに環境住宅を定義(単に私論として)つけ考えてみたい。環境住宅とは自然環境だけを指すのではなく取り巻くあらゆる環境を指すと言うことを前提として考えてみる。今の時代はインターネットの普及などにより、もはや情報は地球規模で共有できる存在になっている、しかし本当に私たちを取り巻く環境は情報のように共有できているのでしょうか?身の回りの現実の世界はインターネットの世界とはまるで違っていることに気が付くでしょう。  環境と共にあるということは、そこの場所・地域に在って「馴染んでいて、ふさわしい」か、ということを大前提として、全ての考え方を集約したい。その基には当然そこに棲む人の生き方、暮らし方から全て発生することは言うまでもないが再認識のうえで考えてみる。

俗に言う環境共生住宅は自然にやさしく、自然を活用し、リサイクルの精神の基にパッシブソーラーやサステナブルの思想に溢れた地球や人間愛の表れとでもいうようなイメージで受け取られるが、現実にはどう作ったか手法論が先行して、ひとつの基準としてとらえられる場合が多い。

まず、そこの場所の基準は日本の基準ではない、その場の経済力に見合った造り方ができているか、地価・材料費・労働費などコストの掛け方を注目したい。地域や個人の所得に応じたお金の掛け方があるはずです、お金を掛ければ何でもできます、いかに効率よく使いきったかを評価したい。

次に、そこに住む人を取り巻く状況はどうであるか、状況に応じたカタチに成っているかで評価したい。沖縄にはトートーメーの問題や一門や地域との関わりから火の神のしつらえまで、本人の実生活とは違う側面からも状況は変化します。あらゆる状況をも踏まえて最良な判断が求められます。

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